裏ココチノ

ブログ名、変えました。どうでもいいこと書きます。メモ残します。

NPO魚沼ゆうき 山岸さんに聞きました(1)

NPO魚沼ゆうき代表 山岸勝さん

NPO魚沼ゆうきの代表 山岸勝さんのお話を聞いてから、2ヶ月が経ってしまいました。
インタビューというほどのものではなく、ただただお話を伺った、というものです。
ボイスレコーダーも使わず、ノートにとったメモ。
まとめようと思ったら、いつまでも公開できないので、少しずつアップしながらまとめていこうと思います。

いくつか、見出しは拾い出しました。

  1. 無農薬でのコメづくりを続けて、20年余り
  2. 無農薬栽培を始めたきっかけ
  3. 自然農法のコメのちから
  4. 自然農法のコメにかける夢

無農薬でのコメづくりを続けて、20年余り

山岸さんの田んぼがあるのは、旧 中魚沼郡川西町(現 十日町市)。
「魚沼産コシヒカリ」の産地です。

現在67歳の山岸さんが無農薬のコメづくりに取り組み始めたのは、平成2年のことです。
当時は、農薬を使うのが当たり前、それどころか、有人ヘリコプターを使っての大規模な農薬散布をよく目にするような時代でした。
そして、「魚沼産コシヒカリ」のブランドや国の食料政策もあり、まだお米が高く売れていた時代でした。

田んぼ1枚からのスタート

3反歩(約30a)の田んぼ1枚からのスタートでした。
ですが、翌年には農薬を使った稲作に戻ります。
しかし、平成4年に「無農薬コシヒカリ栽培」を改めて決意。
手探りで無農薬でのコメづくりに挑み始めました。 

農家の長男として、小さいころから農業の手伝いをしてきた、山岸さん。
「子どもん頃は、百姓が大っきらいだったんだけどねぇ」。

NPO魚沼ゆうきの誕生

平成8年には、仲間を募り「魚沼川西ゆうきの会」を始めます。
“ゆうき”は、“勇気を持って、無農薬有機のコメを作る”の意味を込めたそうです。
「勇気を持たなきゃ、始められないことだった」とおっしゃいました。

平成11年のJAS法改正により、有機農産物と有機農産物加工食品の日本農林規格(有機JAS規格)が定められることになりました。
「有機JAS」や「オーガニック」という言葉が、世の中でも聞かれるようになった頃でしょうか。

また、NPO法人(特定非営利活動法人)として活動していくことを勧められ、平成13年にNPO魚沼ゆうき設立となりました。

 

その情熱は、どこから?
無農薬でのコメづくりを始めたきっかけをお聞きしました。(つづく)