裏ココチノ

ブログ名、変えました。どうでもいいこと書きます。メモ残します。

苦手なことをあえて頑張ってる

どっちかっていうと、惰性で生きている。

将来のことなんか考えてない。

「ちゃんとしてる」ってどういうことか、わからないし、たぶん苦手だ。

だけど、割とちゃんとしてるふうに見られる。

まぁ得してるのかなと思ってた。

でも、お風呂にゆっくり浸かって、ややのぼせ気味になった頭がふと思い出した。

苦手な「ちゃんとしてる」感じを頑張ってやってきたんだって。

「ちゃんとしてない」ことを指摘され、怒られ、否定されることへの恐れから。

 

それに気づけて、なんだか、うれしくなった。

苦手なことをがんばってる自分を労って、これからも適当にがんばっていこう。

どんな悩みも解決する基本

なんか、年末年始とか、お盆とか、GWとか、苦手。
親戚とか、知り合いとか、会う機会が増えて、他人がキラキラして見えるからかも。
平均的なしあわせを持っていない自分に、引け目とか、後ろめたさとか、罪悪感を感じてしまう。

でも、今年は割と楽。
いつもは落ち込んでしまい、時には沼に入り込んでしまう。
今年は、症状が軽い感じ。

年をとったお陰もあるけれど、
落ち込む原因の悩みへの対処の基本が、この投稿に書いてあった。

それは「自分自身を愛すること」。

自分の心の声を邪険にせず耳を傾け、
恋人のように自分をだきしめ、
友人のように寄り添い、
親が我が子にするように育み、
歩き出す勇気を授ける。

誰かにしてもらいたいことを自分が自分にしてあげる。

これがすべての悩み解決のベースです。

「自分を愛する」って、むつかしくない?
だいたい、「自分を愛する」ってどういうことか、わからなかった。
それで解決するの?って思ったし、
そんなの、なんだか怪しくない?って思った。

しかし、今年は、そのテーマを突きつけられるようなことが続いた。
『自分を愛して!』なんて本も買っちゃった。 

自分を愛して!―病気と不調があなたに伝える〈からだ〉からのメッセージ

自分を愛して!―病気と不調があなたに伝える〈からだ〉からのメッセージ

 

スピリチュアルってよくわからないけど、自分にしっくりくることなら、レッテル付けせずに、取り組んでみればいいか、と。
でも、ま、そう思えるまでにも、ハードルがたくさんあったけど。

心や精神的な面から見るには、この本は役立っていて、何度も開いている。
そして、身体については、片山洋次郎さんの本にずっと助けられている。
たくさんの著書がある片山さんだけど、索引も付いているこの本は、とても重宝。

整体から見る気と身体 (ちくま文庫)

整体から見る気と身体 (ちくま文庫)

 

ルーシーさんの文章、励まされる。
わたしは、ルーシーさんのTwitterをチェック。

 


 

この記事を機会に、「ダメ研」カテゴリー、つくった。
正式には、「“どうせダメ”から脱出する研究」。
今回のブログのように、気づかせてくれたり、考えさせてくれるものに出合った時、書く。

12月に入って、メインブログで書こうと思いついたんだけど、グズグズしていて、年末...。
だから、ここで始めてみる。

忘れっぽい自分のために記録。

誰のせいでもない

嫌なことがあっても、人を恨むって難しい。いや、少しの間は恨んだりするなぁ。
けど、恨み続けるのは難しい。
自分に返って来ると思ってるから。

 

だから、嫌なこと、辛いことがあると、それは自分のせいだと思ってた。
でもさ、どっちのせいでもないんだよね。

 

白黒はっきりさせなければならないと、思い込んでたなー。 
誰かを恨まずには済んだけど、自分を傷つけていたなぁと思う。

ピンと来ない

褒められてもピンと来ないので、「なんかすいませーん」て気持ちになる。
昔から。

 

“真面目そうに見える”と言われるのだけど、そうでもないのだ。
基本はいい加減。
やっぱり申し訳ない気持ちになる。

 

最近は、どっちでもいいよねって思ってる。
歳を重ねて、いろんなことが、前よりもっと面倒くさくなったのだ。

 

そして、やっと生きやすくなった。

これが瞑眩⁉︎

ゆるーい冷えとりを続けて、数年。

靴下に穴は空くものの、体に「瞑眩(めんげん)」らしい症状は出ませんでした。

 

とはいえ、それ以前と変わらなかったわけではありません。

一番の変化は、“冷えていることに気づいた”ことです。

それまで、鍼灸院の先生に「足首から下が冷水の中に浸しているように冷たいよ」と言われても、実感は全くありませんでした。

 

それが、今年の秋から、痛いくらいの冷えを度々感じるようになりました。

そして、突然に膝下に湿疹発症。

ほとんど痒みは無かったんですが、掻いてみました。

すると、見たこともないような、赤いかさぶたに。

 

あ、小学生のころ、あちこちぶつけたり、蚊に刺されたりして、いつもかさぶた作ってました。

 

数は減ったけど、湿疹が出てる場所は増えました。

腿、お腹、肩や首、腕にも。

 

こうなって、ようやく「瞑眩かも⁉︎」と。

あぁそうか、と納得すると、不安は小さくなりました。

 

とりあえず、久しぶりの半身浴。

汗が出にくくなってました。

うっすら気づいてたんですけど…。

 

初めてのことで、少し落ち込みました。

そして、やっと気づきました。

頭では“自分を大切にしたい”と考えながら、テキトーだったなぁと。

 

ぜんぶ、テキトー。

表面だけでした。

約束した相手は自分なのに。

 

気づけてよかったなと感じます。

本当に瞑眩だったかは、時間が経てば分かると思います。

出来ることをします。

冷蔵庫が無いまま、夏が終わりそうだ

この部屋に暮らし始めてから、冷蔵庫が無い。

狭いし、近くにコンビニ・スーパーあるし、
「無くて済むか試してみよう」と思って、もう半年以上過ぎた。
そして、夏も過ぎようとしている。

やばいと思った時もあった。
梅雨だ。
薬にも病院にも世話になることはなかったけど、湿気はマズイと体で感じた。

ふだん冷たいものを摂っていないせいか、冷えは今までより辛くない。
実家に戻った時に、ついつい冷たいものを飲んでしまうけれど、それもバカみたいに。
アパートに戻って、体調の変化に後悔するのだ。

 

あるもので満足するようになった。
あるもので工夫するようになった。
というのは、負け犬の遠吠えなのかな。

たのしい。

外側は淡々とした毎日、内側は混沌

頭に来たこと、怒りを書こうと思ってたのだけど、そんなことあまり無い。
相変わらず、ガラケー使っていて、NHKは見ないのに受信料払ってる

IP電話はアンインストールした。
わたしの環境では、会話にならない通信品質だったのだ。

そして、データ通信専用SIM契約のフリーテルを解約した。
アパートと実家、ふだん出かける範囲では、すでにある回線、WiMax、公共のWiFiなどで不便なかったから。

そしたら、久しぶりに出かけた先で、WiMaxが繋がらなかった。
駅にはWiFiあったけど。
そして、それはそれで、とにかく「人に訊く」というコミュニケーションで楽しめた。
やっぱり、人に訊く方が早い。そして、たのしい。

 

そんな風に毎日は、淡々と過ぎている。
ただし、内側はモヤモヤだ。
でも、諦めがデフォルトだったそれまでよりは、いいかも。おもしろいかも。